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<   2017年 03月 ( 5 )   > この月の画像一覧

青森が恋しい



東京に出てきて10か月になる。仕事も頑張っているし、楽しみながらやっている。

でも、日帰りでも青森に行きたくなっている。
新幹線で行っても3時間しか時間がない。代替えの人に頼んで、20時には仕事にまたつかなければいけないから。

朝少し早めに仕事を終えて、品川から東京へそして新幹線に乗る。
やはり迎えは娘に何とか頼もうと思う。一番に行きたいところはお墓参り。私があと何年後かにお世話になるところだから。
次は住んでいた実家の外周りを覗いて来よう。八百屋さんによって、長芋一本買おう。アウガによって、筋子とたらこも買おう。
昼は、函太郎でランチかどこかのラーメン屋さんに行こう。青森の娘とよくラーメンを食べに行ったから。
まだ時間があったら、八甲田山を車で走りたい。成田本店に行って、桜庭さんのCD「with Friend」を買ってこようとも思う。

6月の大人休日俱楽部のチケットを活用していくのがいい。
こんな計画を立てるだけでも楽しい。

「3年は会えないから、それまで元気でいてね」とみんなにいい、覚悟してきた私。あらら!どうなっている私。

そんな時、仕事で同じ仲間に会う機会ができた。会合が終わったら偶然4人でランチしようとなった。
初めて会う人ばかりだが、おしゃべりをしていると隣にいる人が青森市内の出身だという。
一緒に津軽弁でしゃべりあい、すっきりした。

案外近くに同じ故郷の人っているものだなあと思う。

東京は今が桜の時期。青森はあちこち花のつぼみを探しながら、畑の中を歩いたことを思い出す。



by neko2411 | 2017-03-31 22:15 | 青森 | Comments(0)
東京のど真ん中を歩いてきた気がする。日本を動かす、守る、決めるなどいろんなことが行われている場所は案内してもらっていると江戸時代から同じ目的でつかわれてきたのだろうと思う。
その一つに、防衛庁のある市ヶ谷だと思った。
集合の場所から一時間ぐらいでその場所についた。高いところにあるそこは江戸時代にも江戸を守るためにその場所があったとおいう。

途中、番町小学校もみれた。文芸春秋、日本テレビのあった場所、有名な作家さんたちが住んでいた場所などを歩く。

規則正しく、時間をきちんと守っての自衛隊見学だった。
国旗掲揚するところにも、天気の時、雨の時、お客様が来た時と全部違っているとの説明。毎日午前午後の二回、見学者がたくさん来るという。

洞窟のあった場所の写真があった。以前はそこも見学の場所だったという。でも腐敗してきて写真だけになった。その空気抗が庭にあった石灯篭だった。

最近、録画しておいた東京裁判というドラマを見たばかりだった私には、東京裁判が行われた場所をみて、ドラマを鮮明に思い出した。
昔が身近に感じた。
戦争は起こさないと信じている私は、過去の出来事をこうして知ることができてよかったとおもう。

三島事件の場所も移されてはいるが、ドアにある刀傷などを見てきた。あの事件は私も記憶があった。でも、これ以上かけないほど詳しくは知らない。

東京に来て、まずこんな見学ができてよかった。
もうすぐ3月が終わる。明日は東京の花見見物に自転車で走ってくることになっている。

by neko2411 | 2017-03-29 22:40 | Comments(0)
月に一度の社会見学。4回目の2月は、裁判所の傍聴があった。ちょっと緊張しての参加。

毎回集合場所は、都市センタービルです。この周りを毎回歩くのです。皇居を中心に有名な建物があるのですね。
まだわけがわからないといったほうが正直な感想です。でも、聞いたことのある建物には違いありません。
文部科学省、農林水産省、警視庁、日本郵政そして裁判所合同庁舎と歩きます。このツアーは歩く前にランチをします。
それから歩くので、運動にはとてもいい。説明してくれるガイドさんも分かりやすく話してくれる。

裁判所は高等裁判所、知的財産高等裁判所、東京地方裁判所、東京簡易裁判所が一緒に入っている合同裁判所。
法廷の数は150あるという。一日あたりの利用者数は一万人だという。
今回、私たちはその中の裁判を実際に見学してきた。裁判は誰でも入れるんだそうで、ドラマに出てくる景色そのままだった。
グループに分かれて見学時間の間にどの裁判を見てきてもいいことになった。
私たちは、刑事裁判、裁判員のいる裁判、民事裁判の三か所を見学した。

生々しくて、すごい。

ただ、新人さんの弁護士さんや検事さんがやっているように感じた。
そのうちにテレビに出ているような格好いい姿になるのだろうと思う。

帰ってきてからも裁判のあの様子や質問されている被告人の態度が目に浮かぶ。




by neko2411 | 2017-03-28 20:53 | Comments(0)

確定申告

今まで、確定申告をしたことはあったろうか。昨年までは、源泉徴収票が勤務先からくるのでそれでこの時期終わる。

今年から確定申告をすることになる。
パソコンでやろうと思った。マイナンバーのカードは作っているし、電気屋さんからカードリーダーを買ってきた。
Etax もダウンロードした。税務署に青色申告申請の書類を郵送する。番号の書いた返信書類が来た。
ここまでは順調。この作業は月初めにやっていた

その後、のんきに構えて、ずーとやる気にならなかった。3/15の一日しかないという日に動く。入力していく。
はて、最後の送信ができない。でも、納付する税金は分かった。思ったより少なかったのでほっとした。
とたんに、電話で作業所に働いている女子が具合が悪くなったという。迎えに行く。病院に連れて行き寮に帰る。
少し落ち着いた夜に、またパソコンに向かう。送信できれば終わると思い込んでいた。でも、送信ができない。
でも税金は今日中に納付しなければいけない。今更銀行に行けるわけもなく、カード払いができることが分かった。
仕方がないカード払いで手続きをする。

お金を払えば許してもらえるだろうという私の考えだ。
この日から、同居の4人が順序に体調を壊していく。税務署に行けない。

一週間後税務署へ。なんと、私のマイカードの住所は青森のままだった。カードリーダーも接触が悪いらしい。
区役所に行き、手続きをし、電気屋さんに行ってカードリーダーを返品してくる。変わりはもう売っていなかった。
パソコンから注文しよう。あった。たくさんあった。3日ぐらいですぐに送られてくる。

さあ~。始めようとしたら、今度は税務署への送信は土日は受け付けていないと出る。
二日待ち、再度送信。またもやエラー。今度はウインドウズ10は書類を送信できないとでた。コピーして税務署へ持っていくしかないというのだ。
溜息!!

コピーしてハンコ押して税務署へ行く。受け付けてもらってほっとした。税金はカード払いしましたけどと話すと
税金の金額を見ながら、書類が出されないと延滞税がかかるんだけど10万未満だからかからないねと。
初めて知った。

ちなみに医療控除もしようと思ったら、99900円の医療費だった。100円足りない。運賃も入るとか。でも、タクシーも使っていないし。
今頃、バス代の領収書もとっておいているわけでもない。

来年はもっと余裕をもってやろうという反省だった。

疲れたなあ。生活を一緒にしているみんなが体調を壊し。私も寝れない日が続いていた。
みんなが元気でこそ、落ち着いた生活ができるのだなあと改めて思う。

by neko2411 | 2017-03-27 22:58 | Comments(0)

61歳の弟

私には、6歳年下の弟がいる。
私が東京に来るきっかけになった弟である。あの時私にあんなこと言わなければ東京に来るとか考えもしなかっただろう。

少し不愉快なこともあるが、今は東京に来ることになってよかったと思う。
その弟は、酒が好きでタバコが好きで、一年半前に肝硬変と診断された、それでも先生は頑張って治療してくれた。このままお酒さえ飲まなければ仕事復帰ができたのに、飲んでしまった。病院に行くのを遠ざかった。そしてとうとう、先生から治らないことを宣告された。時々意識を失い病院に入院する。でも気が付けばまた退院する.
今はとりあえず透析をすることしかやることがないのだ。本当は透析が本来の治療ではないのだが、肝硬変を治す前に腎臓もひどくなってしまった。完全に治らない。入院してくれていれば家族の生活は何とか静かなのだが,病院で自由勝手をしてしまうため、付き添いをしてほしいといわれたという。そこで退院。家の中にいるのがきついらしく、ぶらっと外に出る。倒れているのでは気になり奥さんは落ち着かない。
弟は私が入院中訪ねても何をしに来たといい、帰れと言わんばかりの言い方だった。それから行っていない。様子は義妹からくるので事情は聴かされている。こんな私でも働いていたるおかげで入院先の保証人にはなれるらしい。そのお願いの手紙と弟の様子のことなど知らせてくる。今、一番近くにいる身内が私になった。これもまた不思議なことだ。

今日は珍しく電話が来た。しどろもどろの話し方。詳しくはかけないが、脳に水が入ってしまい若年認知症のような感じになってしまったらしい。
だから、最初の言葉は「父さんは今どこにいるんだ」というのだ。「父さんお墓だよ。もう20年になるよ」というと「そうだな」と思い出したように答える。「相談があるから来てほしいんだよ。」「いいよ。行くよ」というと。「うちは、銚子の姉さんより近いよころに住んでいるから」「東京まで来たら東京にいってもいいよ」という。「いいよ。いけるから。」
「で、なんかあったの?」と聞くと、「離婚することになりそうなんだよ」「どうして?」「わかんないんだよ。息子のこととか。家のこととか。墓のこととかの承認になって聞いてほしい」と「離婚だなんて、嫁さんには優しくしなければだめだよ」というと「何が何だわからないんだよ」と。
「家は、嫁さんと二人で決めることだし、お墓は私たちが死んだら入ればいいだけだから、気にすることないよ」

といい、電話を切った。すぐにまた電話がくる。「来るときまた連絡してといった」そばに家族の声が聞こえるので家の中だとわかる。

義妹にメールをする。やはり体調にむらがあるとのこと。

弟は私が家を出て東京に来たことを忘れたらしい。訪ねて行ったことも覚えてくれていない。弟は実家に帰りたいと嫁さんを困らせているという。姪とか甥の名前を言うが、自分の息子のことも忘れているみたいで悲しいと義妹のメールに書いてくる。

今の私には、どんなアドバイスもできない。病気でない時でさえも、私は彼に説教めいたことを言ったこともないのだから。

病気の人は、24時間ずーと具合が悪いわけではないだろうとこの頃思うようになった。だとすれば、調子のいい時に、穏やかに過ごせるようになれれば、最後の時間も幸せだったと思うのではと。このことは、両親のそれぞれ違う死に方を見て思ったこと。

2月にこんな日記を書いていた。一か月前から連絡が来なくなった。やっと私から元気だといいなあと思い妹にメール。落ち着いたみたいで、自分は仕事を見つけようかなと思ているという。

実家の様子はのことはどうしているのか聞けないが、弟は元気になり気になっているようだ。奥さんはかまってれないという。それもそうかもしれない。

長く元気でいてくれればこれほど安心はない。






by neko2411 | 2017-03-26 23:52 | Comments(0)