独り言


by ゆずれもん
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青森から東京に仕事に出てきて、すぐに弟が病気になる。いまだに入院しながら、転院を繰り返している。
青森から東京に出てくる最後の日に挨拶をしてきた親友が脳梗塞になった。あれからずーと入院中。
青森から東京に出てくるとき、私たちもこれから、娘のいる仙台に移転するからと引っ越しの準備をしていたおば夫婦が昨年の6月に仙台に来ていたのに。電話をするたびに、、元気のない声。数日前、とうとう施設に入ることにしたという。娘夫婦の家では一緒には暮らせないという。疲れた・・と。

東京の友達が、一人暮らしは気楽でいいわと言っていたのに、娘さんから一緒に暮らさないと誘われて悩んでいるという。
あら!私と一緒。とてもうれしいのは、私の住むところとは近くなったこと。

青森から東京に移住することにしたといったら、おれ、足が痛くて歩けないんだと電話をよこした。病院は?というと内科に入っていると、整形外科には行かないの?といい、私は連れていかなかいよと冷たく話してしまった元夫に。
今までどうしていたんだろう。やっと、青森にいたときに通っていた私の主治医の病院に行ってきたという。先生からすぐに、脳梗塞かもと。CTをとった結果。やはり脳梗塞。3年前にころんだときからのことだっという。
自分がいつも先生になっている人だから、すぐに病院に行かない人だった。

青森から東京に来た大先輩が72歳になった時にケアハウスに入った。元気だけど、誰にも迷惑をかけないで元気に過ごすためにと。万が一の時もそこに入れるからと。その決断はベストだったのかも。


周りが変わってきた。あわただしい。2013年に亡くなった母の人生最後の一年、母のように穏やかに過ごしたいと思う。たった一年で、人生全部がよかったになるらしい。母はそう言っていた。
そうして上げた私も満足だった。食欲が出なくて痩せた私、精神的にきつかったけど、思えばあの時は、PCでつながった仲間に助けられたんだった。

品川から大田区に引っ越して一か月、続けざまに、周りでいろんなことが起こった連絡をもらいながら、
やっと何か書こうかと思う気になったみたい。

私は、今年は肺炎球菌の予防接種、そして脳検査でもしておこうかなと思うようになった。

# by neko2411 | 2018-04-09 23:12 | Comments(0)

新宿二丁目


先日、上野から葛飾区の金町というところまでバスに乗った。
スマホで検索するとき、運賃が安いか、乗り換えが少ないかとみる。
その日は、時間がある予定で、バスに乗った。浅草、柴又、荒川など、電車に乗っているときは気が付かない場所を走った。
最初はすごーいと心ではしゃいでいたが、一時間かかったのだった。一時間でも206円だ。
青森市内からだと弘前までだろうか。
混んでいるし、暑いし、きついバスの中だった気もする。

走っている途中、新宿二丁目というバス停があった。東京の地図が分かっていないので、あの新宿二丁目を通るのだろうなと思うだけである。
でも、この場所に近くなると「新宿二丁目は、しんじゅくではなく、にいじゅくにちょうめ」と放送がかかった。

スカイツリーが見えるそばも走った後だった。

新宿は、面接試験で初めて降りたJR山手線上にある駅だった。西口に出れなくて迷った記憶がある場所。
(今は、スムーズに改札に出て西口に出れるようになりましたよ。)

私は、上野で友達とランチをしてから、金町というところに行ったのだった。

東京に来てから、私は何度となくあちこちの病院に行っている。最初は千葉県。でも住んでいるところからは案外近いほうだった。幕張にもおりた。
お見舞いなので、見学はない。
今、弟家族は、息子のために東京に引っ越してきた。
だから東京の病院になるのだろう。ひと月前にも救急搬送され少しは落ち着いたのに、また搬送されたという。
今までは、「なんで来た」という感じで私を追い出していた。弱くなった自分を見せたくないという感じだった。
それからしばらくして、顔を見に来てほしいと嫁さんから連絡がくる。
ならと、行き始めた。
何やかやあっても、今は行くしかないと思った。

最近の弟、人工透析で入院しているが、私が行くと喜ぶようになった。
よく来てくれて、うれしいなというのだ。誰も来ないと寂しいもんだなと。
やっと人間らしい会話をするようになった。

落ち着いて話をするようになったので、
この機会を逃してはいけないと思い、私は弟にちくちくとした内容をやさしく言い出した。

私がなぜ東京にいるのか知っているか?  頭をかしげる
なぜ、家から出ていってほしいといったか?  出ていってほしかった。
母親からの遺言で姉さんをこの家に住まわせるんだよと言われたからと言って、手紙をくれたよね。  無言
私が畑仕事や庭、お墓、雪片付けなど一生懸命やってきたのをどう思っていたの?  考えたことがないと。
位牌をなぜ家に持ってこれなくて、位牌堂にあづけているのか?  嫁が嫌だといった。(まさか!)

その反面、弟からは、青森の家をどうすればいいかなと聞かれる始末。

私の意見はない。あなたが青森に帰るから出ていってほしいといったから、今ここにいるんだよというしかない。

私は、あなたたちが青森のあの家で暮らす姿を想像するしかないと。。


話が横にそれた。
新宿二丁目はあのにぎやかな新宿の駅ではなく、「新宿(にいじゅく)」とよび、駅はなくバス停はある。
葛飾区の北部、「こち亀」の亀有、「寅さん」の柴又に挟まれて、「新宿」はある。
そして、そこを「にいじゅく」と呼ぶのだった。

おかげで、週二回、行くこともないと思っていた東京のあちこちにも行くようになったのです。

# by neko2411 | 2017-12-25 00:59 | Comments(0)

家が決まった。

娘から同居の話を聞かされてから、毎晩パソコンで検索しながら、気に入ったのがあるとメールで連絡が来ていた。
そして、実際に見に行こうということになり、不動産屋さんの話を聞き、気に入ったおうちが見つかった。
間取りも、娘と私の部屋になる予定の間取りがくっついていないので、気に入ったのだった。中古だけど、リノベーションだった。周りには生協や蔦谷、ドラッグストアがあり、駅には銭湯があり、病院もある。駅からバスで行くのは、今の私の生活からして問題はない。
まずはエレベーターがないのであれば、階段をあんまり上がらないことを希望した。

娘にとっては初めての、ローンを組むことは、とてもきつかったようだった。なんだか自分をさらけ出して調べられている気がしたという。
決まるまでの、いや今日カギを受け取るまでの1か月は私でさえもドキドキだった。

でも、今日、カギ受け取ったよ!家に来てるよ。私たちの家に!という電話に本当に一安心。

家が決まり、今年中に娘は引っ越しをする。

私は一年後の引っ越しになる。
こんなに早く決まるとは、二人でびっくりだった。

私は、今まで一人で暮らしたことが少ない。お母さんはひとりでは暮らせないよと。長女が次女に話していたという。

そうなのかも。私は誰かのご飯を作りながら暮らしてきたから。

高校卒業してから上京し、その後は一緒に暮らしたのは、彼女が落ち込んで里帰りしたときぐらいだった。

一年後は、娘のためにご飯作ってみようかな。
元気でいたいなあと。

気づいた。私は最初、高幡不動という地について、ここなら住んでもいいと思った。それから、私は立川や多摩がいいと言い続けてきた。
そしたら、偶然、高幡不動にモノレールですぐに行ける場所だった。


# by neko2411 | 2017-12-22 22:36 | Comments(0)
11月7日。川崎にいた私は娘と合う。
お母さん、一緒に暮らす!家を買おうかなと。まさかの発言。私は買う予定も力もない。
利佳が買うなら応援できるとすぐに思った・

この一年半、一生懸命働いて、少しはためた。
あと倍貯めないと、私の将来は不安になる。
そんなことを考えていたので、

びっくりしたけど、うれしくなった。一人暮らしをすることにだけ夢を持っていたが、一人より二人がいい。
私は今まで一人で暮らしたことがないのだ。仕事は住み込み、そうでないときは親であり、子供たちだったし、家族だったから。

気に入った家があるといい、娘は不動産屋さんと連絡を取る。手際がいい。
11月18日、行く、2件目を見て決めた。私と娘の家での距離感がいい。邪魔したくない。それだけが私の気持ちにある。

今まで通り、私は動こう。家にいるときも楽しく過ごせるように時間を使おうと思う。友達がくるときは、用事を合わせて出かける。私だって友達に会いにいける。
趣味を作り、元気に過ごそう。仕事もやりながら、旅行もしよう。

娘のローンの返済も手伝いたいが、とりあえず、電気関係、。台所の道具の準備の費用は支払おうと思う。私は今、大蔵大臣。この一年半があるからそれができる。
できてよかったと、東京に来たことに後悔はない。

一緒に暮らすようになったら、日常の費用はきっと払うことになるだろうと思う。どうせかかる予定の費用だから。
ローンだけは頑張ってほしいと思っている。そうしないと、自分のものという気持ちが強くなれないから。

ためたお金で旅行して!素直に受け止めようと思う。
あと、3日でカギが渡る。あと10日で引っ越しをする。


# by neko2411 | 2017-12-19 23:52 | Comments(0)

退職後の生活を考える

娘が東京に住んでいるけど、娘と住むことは考えていません。未来への邪魔をしたくないから。私も自由でいるほうがいいから。
そんなことを考えて、私はあと一年半の仕事を楽しみながら、毎晩電卓をたたいています。
あと何年生きるために、今働くのか。20年生きるのか、15年で終わりになるのかなど。
実は20年分の年金の不足分はためれないことにがついたのです。

年金暮らしになる生活を目の前にしながら、家賃を払い、東京で暮らす。場所はどこでもいいのだが、せっかく出てきた東京がいい。
昨年までいた青森にいたとて、同じことを考えているだろう。
私は、今働いているので、ならいくら貯蓄に頑張ればいいのかということだった。

年金プラスを考えると、私は15年しか貯めれないことに気が付いていた。

先に不安を持ちながら暮らすのは嫌だなあと思いつつ、家探しは退職近くになったらと、今一休みをしていたのです。

そこに、突然、娘から「一緒に暮らそうか」という声がかかりました。
で、私はどうすればいいかと聞くと、お母さんは自分の部屋を楽しく暮らす方法だけを考えていればいいというのです。
なーにそれ!ちょっと理解できません。
娘は、一緒に住む部屋を探してみるからと。

私は娘と暮らすことは本当に考えていないし頼もうとも思っていない。結婚だってしたいと言っていたし。

でも、あっちから一緒に暮らそうかと言われたら、断る必要がないと思うのです。

彼女は、私の人生すべてを知っている。働きづめの私を見て、この先、ゆっくり自分の家に住んでほしいというのです。

彼女に本当はそんな余裕はないこを私は知っています。18歳から東京に来て22年、悩みながら暮らしていました。仕事も転職はしても、休むこともなくでした。

一緒に住むことによっての、私のメリットはあります。
一番は、何年生きるのだろうと考えなくていいから。何年でも生きていいからです。
何か私にあれば、同居がいるということは、安心なことです。

でも彼女がもしかしたら縁があって結婚したら、どうなるの?
その時は、自分がその家から出ていくからと。だから私はその家でずーと暮らしていいのだそうです。

デメリットは、何があるだろう。小さな子供と暮らすのではないから、
「何時に帰る、部屋が汚い」などお互いに干渉しないことだろうとおもいます。
彼女にとって、親と暮らすことは、ますます縁遠くなりそうです。
そんなことも考えると、無理させることは、望んでいませんでした。

私が貯蓄したお金で、あちこち旅行とかに使えばいいと、夢のような話です。

東京に来るといったときは「え!結婚でもするの?」というくらいにびっくりしていました。
一緒に暮らそうといわれるのが怖かっただろうなと思いました。
だからそんなことはひとつも考えていませんでした。


絶対あり得なかったこの申し出は
仙台の姪のところを訪ねた神社からいただいお札をもらって、考えることになったそうです。

「新しい波が押し寄せ、現在のあなたの環境を大きく変えます。今までの慣れしたしんだ人との離別や、
みじかにあった極めて当たり前のものがなくなったりします。
この機会に、そういった物事への感謝の気持ちを改めて確認し、
悔いを残さぬように普段から心がけましょう」

このお札を見て、彼女は、自分のことの周りだと思い、仕事のことだろうと思ったそうです。
でも、読み返すうちに、これは、母のことを言っていると感じたというのです。


私が安い部屋を賃貸しようとする場所を一緒に見に歩いてくれていたので、どこを見ても、お母さんがかわいそうに感じてしまったそうです。
家を探すために東京で働いている私が、かわいそうだというのです。

私は仕事も家探しも楽しんでいたけど。娘にはそう見えたようです。

まずはこの気持ちを受けることにしました。私の退職後の道がきまりまりました。

あと一年半、どこが私の住処になるのか、楽しみになりました。
まず、何年、生きるかのために、いくら貯めるのかを考えなくてよさそうなのが一番。


安ーい家なら東京の山奥でも暮らせるかもしれません。娘が買うなら問題はない。
確かに、娘の家賃を聞き、びっくり。よくやってきているなあと思いました。

気持ちは素直に受け取って、私も彼女の応援ができるのかもしれないと思ったら、
フィフティフィフティの気持ちで
やっていけると思いました。



# by neko2411 | 2017-11-20 08:20 | Comments(0)