独り言


by ゆずれもん
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大学講座

自分で未来を創る
やってみないとわからない人生
何歳になっても成長できるのかと気になるが。

いまだに仕事をしながら、わからないことがあれば調べ、聞き、本を買い、納得した仕事をしたいと思っている。
その時間もあと少しと思いながら、やりなおしたことはないかと考える、

大学に行っていない私は、大学で講義を受けてきてみたいと思うのだが、おかしいかな。

# by neko2411 | 2018-07-26 23:14 | Comments(0)
一年ぶりに青森に行ってくる。お墓参りをして家族に会って、親せきにあってと一泊二日はあわただしい。それでもその中で、桜庭さんのCDを買い、生協に行って、東京でどうしても手に入らなかった「鬼からし漬けの素」を買う。上北農産加工のたれは安いときに娘に買ってもらっている。すじこやたらこはやはりアウガの市場で買うのが一番と思っている。
今回の一番の用事は二年間娘に預かってもらっていた廃棄できなかった荷物を東京の家に送ることだった。
今一度中身を確認すると。、本当に必要かと気になる。二年前は捨てれなかったのもだから送ってもらう。

実家の庭をもう一度見てくる。畑のものは全滅、ミョウガもにらもふきもブドウも自然に生えていたと思っていたわたしは、今回姿がなかったのを見て、人間の手がかかっていたから生きていたんだと納得した。
両親も、私の数年もあの畑は、大事に育ててきたからおいしく食べれていたんだと思った。
これで納得。私は、私の仕事を終えた後の住処は東京でよかったと。

# by neko2411 | 2018-07-03 23:10 | つぶやき | Comments(0)
青森から東京に仕事に出てきて、すぐに弟が病気になる。いまだに入院しながら、転院を繰り返している。
青森から東京に出てくる最後の日に挨拶をしてきた親友が脳梗塞になった。あれからずーと入院中。
青森から東京に出てくるとき、私たちもこれから、娘のいる仙台に移転するからと引っ越しの準備をしていたおば夫婦が昨年の6月に仙台に来ていたのに。電話をするたびに、、元気のない声。数日前、とうとう施設に入ることにしたという。娘夫婦の家では一緒には暮らせないという。疲れた・・と。

東京の友達が、一人暮らしは気楽でいいわと言っていたのに、娘さんから一緒に暮らさないと誘われて悩んでいるという。
あら!私と一緒。とてもうれしいのは、私の住むところとは近くなったこと。

青森から東京に移住することにしたといったら、おれ、足が痛くて歩けないんだと電話をよこした。病院は?というと内科に入っていると、整形外科には行かないの?といい、私は連れていかなかいよと冷たく話してしまった元夫に。
今までどうしていたんだろう。やっと、青森にいたときに通っていた私の主治医の病院に行ってきたという。先生からすぐに、脳梗塞かもと。CTをとった結果。やはり脳梗塞。3年前にころんだときからのことだっという。
自分がいつも先生になっている人だから、すぐに病院に行かない人だった。

青森から東京に来た大先輩が72歳になった時にケアハウスに入った。元気だけど、誰にも迷惑をかけないで元気に過ごすためにと。万が一の時もそこに入れるからと。その決断はベストだったのかも。


周りが変わってきた。あわただしい。2013年に亡くなった母の人生最後の一年、母のように穏やかに過ごしたいと思う。たった一年で、人生全部がよかったになるらしい。母はそう言っていた。
そうして上げた私も満足だった。食欲が出なくて痩せた私、精神的にきつかったけど、思えばあの時は、PCでつながった仲間に助けられたんだった。

品川から大田区に引っ越して一か月、続けざまに、周りでいろんなことが起こった連絡をもらいながら、
やっと何か書こうかと思う気になったみたい。

私は、今年は肺炎球菌の予防接種、そして脳検査でもしておこうかなと思うようになった。

# by neko2411 | 2018-04-09 23:12 | Comments(0)

新宿二丁目


先日、上野から葛飾区の金町というところまでバスに乗った。
スマホで検索するとき、運賃が安いか、乗り換えが少ないかとみる。
その日は、時間がある予定で、バスに乗った。浅草、柴又、荒川など、電車に乗っているときは気が付かない場所を走った。
最初はすごーいと心ではしゃいでいたが、一時間かかったのだった。一時間でも206円だ。
青森市内からだと弘前までだろうか。
混んでいるし、暑いし、きついバスの中だった気もする。

走っている途中、新宿二丁目というバス停があった。東京の地図が分かっていないので、あの新宿二丁目を通るのだろうなと思うだけである。
でも、この場所に近くなると「新宿二丁目は、しんじゅくではなく、にいじゅくにちょうめ」と放送がかかった。

スカイツリーが見えるそばも走った後だった。

新宿は、面接試験で初めて降りたJR山手線上にある駅だった。西口に出れなくて迷った記憶がある場所。
(今は、スムーズに改札に出て西口に出れるようになりましたよ。)

私は、上野で友達とランチをしてから、金町というところに行ったのだった。

東京に来てから、私は何度となくあちこちの病院に行っている。最初は千葉県。でも住んでいるところからは案外近いほうだった。幕張にもおりた。
お見舞いなので、見学はない。
今、弟家族は、息子のために東京に引っ越してきた。
だから東京の病院になるのだろう。ひと月前にも救急搬送され少しは落ち着いたのに、また搬送されたという。
今までは、「なんで来た」という感じで私を追い出していた。弱くなった自分を見せたくないという感じだった。
それからしばらくして、顔を見に来てほしいと嫁さんから連絡がくる。
ならと、行き始めた。
何やかやあっても、今は行くしかないと思った。

最近の弟、人工透析で入院しているが、私が行くと喜ぶようになった。
よく来てくれて、うれしいなというのだ。誰も来ないと寂しいもんだなと。
やっと人間らしい会話をするようになった。

落ち着いて話をするようになったので、
この機会を逃してはいけないと思い、私は弟にちくちくとした内容をやさしく言い出した。

私がなぜ東京にいるのか知っているか?  頭をかしげる
なぜ、家から出ていってほしいといったか?  出ていってほしかった。
母親からの遺言で姉さんをこの家に住まわせるんだよと言われたからと言って、手紙をくれたよね。  無言
私が畑仕事や庭、お墓、雪片付けなど一生懸命やってきたのをどう思っていたの?  考えたことがないと。
位牌をなぜ家に持ってこれなくて、位牌堂にあづけているのか?  嫁が嫌だといった。(まさか!)

その反面、弟からは、青森の家をどうすればいいかなと聞かれる始末。

私の意見はない。あなたが青森に帰るから出ていってほしいといったから、今ここにいるんだよというしかない。

私は、あなたたちが青森のあの家で暮らす姿を想像するしかないと。。


話が横にそれた。
新宿二丁目はあのにぎやかな新宿の駅ではなく、「新宿(にいじゅく)」とよび、駅はなくバス停はある。
葛飾区の北部、「こち亀」の亀有、「寅さん」の柴又に挟まれて、「新宿」はある。
そして、そこを「にいじゅく」と呼ぶのだった。

おかげで、週二回、行くこともないと思っていた東京のあちこちにも行くようになったのです。

# by neko2411 | 2017-12-25 00:59 | Comments(0)

家が決まった。

娘から同居の話を聞かされてから、毎晩パソコンで検索しながら、気に入ったのがあるとメールで連絡が来ていた。
そして、実際に見に行こうということになり、不動産屋さんの話を聞き、気に入ったおうちが見つかった。
間取りも、娘と私の部屋になる予定の間取りがくっついていないので、気に入ったのだった。中古だけど、リノベーションだった。周りには生協や蔦谷、ドラッグストアがあり、駅には銭湯があり、病院もある。駅からバスで行くのは、今の私の生活からして問題はない。
まずはエレベーターがないのであれば、階段をあんまり上がらないことを希望した。

娘にとっては初めての、ローンを組むことは、とてもきつかったようだった。なんだか自分をさらけ出して調べられている気がしたという。
決まるまでの、いや今日カギを受け取るまでの1か月は私でさえもドキドキだった。

でも、今日、カギ受け取ったよ!家に来てるよ。私たちの家に!という電話に本当に一安心。

家が決まり、今年中に娘は引っ越しをする。

私は一年後の引っ越しになる。
こんなに早く決まるとは、二人でびっくりだった。

私は、今まで一人で暮らしたことが少ない。お母さんはひとりでは暮らせないよと。長女が次女に話していたという。

そうなのかも。私は誰かのご飯を作りながら暮らしてきたから。

高校卒業してから上京し、その後は一緒に暮らしたのは、彼女が落ち込んで里帰りしたときぐらいだった。

一年後は、娘のためにご飯作ってみようかな。
元気でいたいなあと。

気づいた。私は最初、高幡不動という地について、ここなら住んでもいいと思った。それから、私は立川や多摩がいいと言い続けてきた。
そしたら、偶然、高幡不動にモノレールですぐに行ける場所だった。


# by neko2411 | 2017-12-22 22:36 | Comments(0)